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沖縄知事選前半のそぞろ歩き記
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    社会市民連合に載ってたのがミスプリだらけだったので訂正しました。

    沖縄 旅行記              池邊幸惠  2006.11

    11月7日(火)

    朝5時半出発、小雨の降る中、大森の生徒の家を出る。朝一番の飛行機の時はいつも
    お世話になっている。6時半羽田出発、9時半すぎにはもう沖縄の那覇空港に着い
    た。飛行機は速い。

     日差しが強くてまぶしい!これぞ、沖縄! 空はぬけるように青い。 すぐさま高
    速バスに乗って、名護市に向う。宜野座インターに国立沖縄工専の南里さんが迎えに
    来てくれる。

     久しぶりに旧交を温め、話に花が咲く。彼女も今、いろいろと闘っているまっ最
    中。みんな元気だね。平和省の仲間の糸数梨恵ちゃんから電話が入り、今、辺野古の
    浜のテント村にいるという。さっそく会いにでかける。

     いってみると、平良夏芽さんが、浜で丁度話しをはじめたところだという、毎日担
    当が替わっていて、今日は平良さんの番だそうだ、ラッキー!

     
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    梨恵ちゃんと浜に行くと、有刺鉄線が白い砂浜を分断している。むこうはキャンプ
    シュワブ、浜の向こうの丘の上の監視小屋からはいつもこちらを見てるそうだ。

     そこで、平良さんたちの体をはっての、この浜の海中のボーリング調査のやぐらを
    死守してきた、さまざまな戦いのことをひとしきり聞く。凄い!の一語に尽きる。カ
    ヌー隊の訓練や、人命救助の資格をとったり、それがさっそくに役立った一刻を争う
    いのちを救った話これも戦い。海の上では、モーターの騒音といのちがかかっている
    から、どうしても大声で荒くなってしまうそうだ。

    そして、やぐらに寝泊りしたことなど、宜野座えいこさんも加わって話はますますおもしろくなる。 彼女は3時の差し入れを持ってきてくださった。お茶やおにぎりて
    んぷらをたべていても、細かな砂が口に飛んで入ってくるみたいだ。

    彼女が先生をしている高校で平良さんが話しをしたこと、高校生の全員がいつになく
    真剣に長時間彼の話に聞き入ってたこと。やはり、ほんもの大人の真剣な話は若い人
    の心をしっかりとつかむのでしょう。

    そして、夏芽さんの、かの体当たりで逮捕された件、それはもう圧巻でした。彼は、
    少し遅れて行ったそうだけど、みんなは自衛隊に制止されて、おとなしく歩道にたっ
    ていたそうです。でも、夏芽さんが、「みなさん、このまま言うことを聞いて歩道に
    いては、調査の車をとめることはできないんですよ。わたしは車道にでます」と言って、

    車道にでたけど、半数はやはり出れなかったそうです。そして、とうの車が来て、突
    破されそうになった時、とうとう夏芽さんは車の前に飛び出したそうです。

     胸にタイヤのあとがついていたとか・・・、車のタイヤにしがみついて、自衛隊員
    が3人がかりではがそうとしたけど、絶対にはがされまいとがんばったそうです。

    でも、隊員は、夏芽さんの背中にひざで飛び蹴りみたいにのっかって酷く手荒なこと
    したそうです。そして、とうとうひきずられながら逮捕されたそうです。

     留置場では、体中が痛くて、肋骨が折れているのもわかったそうです。指も折れて
    いて、やっと今は少し動くようになってきたそうです。

     それだけの重症だったのに、飛び込まれて弾いてしまった運転手に気の毒だから
    と、痛みに耐えながら、「なんともないです」と言ったそうです。それに、ひきずら
    れて来る時にも、隊員たちに、「ぼくはあなたたちを憎んでいませんよ!」と叫びな
    がら来れたんだそうです。それは後でビデオを見て聞こえてきて、よかったとほっと
    したそうです。いつも言ってることと違うことを口走っていたら恥ずかしいかったか
    らと、言ってらっしゃいました。


     あの9.11の瓦礫の下から助けだされたウィリアム・ロドリゲスさんもそうだったけど、平良夏芽さんもとっても、ハンサムなナイスガイです。 彼のようなガッツ
    のあるヒーローは、県知事選に出てもよさそうだにと私には思われました。だって彼
    だったら、体をはってアメリカと大喧嘩してでも基地を撤去してくれそうですもの!

      そんな激しい平良さんの生い立ちも聞きました。この母にしてこの子あり、この
    父にして、この子ありか、両親とはかくも多大な影響を子に与えれるものかと、親の
    力の凄さを思い知らされました。

     留置場での取調べの時、壁のむこうで、「平良夏芽を釈放しろ!」と拡声器で応援
    の人たちのシュプレヒコール、だのに、取調室では、完全黙秘しているから、「名前
    を言いなさい!?!」^^;;

      そして、結局、留置場だけで釈放されたのですが、それもみんなのFAX・電話
    のおかげだったと。

      突然出さされるから、応援のみんながかけよってきて、「がんばれ、がんばれ」
    と、みなは、これから拘置所がどこかに移送されるのかと思ってたそうだ。

     そして、家にもどったら、借家の大屋さんに問題をおこしたから、でていけといわれるかと思ったら、元気付けられて逆に牧師にお説教くださったそうだ。

    さてさて、浜での話しが4時間半にもなってこれまでの最高記録だったそうでした。
    そして、その晩わたしは、梨恵ちゃんと一緒に那覇に行くことにしました。

     
     那覇では、平和の結集と平和省の仲間達と、この選挙ときくちゆみさん対策本部
    会議です。途中茶谷によって拓ちゃんを拾って行きました。

      そして、総勢10人があつまって、いろいろと自己紹介と話あい・・。わたしも
    今後の4日間の予定をだいたい決めました。終わってから弁護士さんたちの選対本部に行っていろいろ話を聞いてみました、なかなか火がつかないと話しておられました。

    あと、また梨恵ちゃんと一緒に夜中に辺野古に戻り、ティダの家に泊まりました。

    11月8日(水)

      ティダの家で目がさめました。ティダとは、沖縄の言葉で“太陽”という意味で
    す。沖縄のおばあたちは太陽を拝みます。ウタキ(聖なる場所)で太陽に向かい東に
    向って祈りを捧げます。

     他にも二人泊まっておられました。京都の学生さんと地元の方でした。そして、この
    ティダの場所を提供なさっているヨシタミ議員さんと、おばあたちは、毎朝、キャン
    プシュワブのゲート前にたって、のぼりをあげ、旗をもって、プラカード持ってア
    ピールするそうです。一泊の恩義でわたしも一緒に立つことにしました。

     「おはようございます。いってらっしゃい」「女性候補けいこをよろしくお願いし
    ます」

    と、きっかり7時〜8時まで、行きかう車に手をふって呼びかけるのです。

      それが終わってから、わたしは、また梨恵ちゃんと那覇にでました。2日目は夜にきくちゆみさんが沖縄に到着で、鉛筆ビルの喫茶店でゆみさんの“ルース・チェンジ”の講演会ですから、その準備もあります。糸数候補の後援会に寄って彼女のマン
    ガを手に入れたり、カードやチラシを貰ったりと、町をうろうろしているとけっこう
    渋滞でこんでいて、時間をとりました。行ってから、本を並べたりといろいろ会場の
    準備をしました。

      きくちゆみさんが飛行機がトラブって少し遅れるので、私は始まる15分前からピアノを楚々と弾き始めました。そして、まもなくDVDが始まりました。その後ゆみさんが到着。喫茶店は満杯になりました。このルース・チェンジはわたしもこの9月にゆみさんや週刊金曜日の平澤さんとニューヨークにいって、グラウンド・ゼロの前のデモに参加した時に貰ってきたもので、彼らがみなに只でどんどん配っていました。もちろんゆみさんはそれをつれあいの玄さんと翻訳されたものです。

      ジミー・ウォルターさんもそうですが、彼も“真相究明の呼びかけ(A CAL
    L TO REOPEN)”もとにかくアメリカではどんどん只で配っていました。
    一人でも多くのみなに知ってほしいという高邁な精神と正義感とに彼らはつきうごか
    されているのです。ゆみさんをはじめ、みなさん、世界の真相のため平和を勝ち取る
    ためにもほんとうに必要なすばらしい働きですね。

      そして、DVDがすんで、平良夏芽さんもいらして、ゆみさんの話しがはじまっ
    た頃、糸数候補が立ち寄られました。そして、彼女の演説は、彼女の母親の話にはじ
    まり、とても心をうつものでした。彼女の母親はとても明るい人だったので、その母
    にそんな戦争での辛く暗い体験があるとは、彼女はまったく知らずに育ったのだそう
    です。その辛い経験とは、戦争のさなかに幼い子を二人も亡くして、それが信じられ
    ず一時は気がふれたそうでした。

     そして、彼女がバスガイドになってから、平和のバスガイドとして目覚めて実行す
    るまでの過程も、女性候補さんを紹介するマンガに詳しく書いてあります。  

    この女性候補さんのマンガをよんで泣かない人は“オニ”ですよ、^^と言って、子
    どもたちにも是非読ませてあげてください、と来た人たちに帰りに一つずつ買っても
    らいカンパもしてもらうように大きな声で宣伝しました。^^

    それを読めば、女性候補さんは沖縄の庶民の辛さを母親の体験と平和バスガイドとの
    取り組みの中で身をもって知ってらっしゃいます。

    これからは、庶民にやさしい県政をと、それが彼女のスローガンの一つでもありま
    す。

    その晩は、その喫茶店で夜中すぎてしまったので、梨恵ちゃんのおばさんのところに
    一緒に泊まることになりました。翌朝もゆっくり叔父さん叔母さんたちと話をしまし
    た。すばらしい方々でした、すてきな出会いを一杯いただけました。わたしも沖縄に
    住んで耕したいな、とそんな思いに駆られました。


    11月9日(木)

     今日は、昼休みの時間に、琉球大学できくちゆみさんたちと“教育基本法のシール
    投票”をするので、梨恵さんといっしょに出かけていきました。昼休みに大学生協の
    食堂の前でしました。テレビと新聞社もいくつか来ていました。

     「今、兵隊になるように命令に反抗しない子どもたちを育てる教育へと変えられよ
    うとしています。そのことを知っていますか? みなさんはどう考えますか」と、呼
    びかけました。

      学生によびかけながら、教育基本法改訂について<賛成><反対><わからない>
    ・・・にシールを貼ってもらうのです。全部で321票あったけど、そのうち

     54.2%が 変えない わからないが27.4% 変えたほうがよいが18.4


    変えたほうがよいは、これまでの平均の27.5%より大分低かった。

     変えたほうがよいにシールした生徒に、なぜかそうしたかをいろいろ聞いてみる
    と、両親共に教師で教育基本法がダメだといってるから、と言ってたので「あなたも
    ご両親もエリートかもしれないけれど、今は、どんどん格差をつくって貧乏な子、で
    きない子は兵隊に行けような子を作る、そんな教育へとかえられようとしているの
    よ」と言ったら、「親に洗脳されてたかな」と 変えないほうに貼りかえてくれまし
    た、偉い!

     あるいは、今の教育が好き勝手で自分勝手すぎるから変えたほうがいいという生徒
    もいました。あるいは、今の教育が悪すぎると思うから変えたほうが・・・。と、今
    の教育行政と現場の矛盾を教育基本法にむすびつけるのはあまりに短絡すぎます。


    今、フィンランドが世界で一番、子どもたちの学力高いのですよ。それは何故ですか
    と誰かが聞いたところ、それは日本のすばらしい教育基本法をお手本にして忠実に
    守ってきたということでした。

    ですから、いくら良いものを持っていても、生かすも殺すも人間なんですね。生かす
    も殺すも国の教育政策を実行する人次第、政治家次第なのですね。

    それは平和憲法にしてもしかりです。無法者が政治をしていては、憲法もなにもあっ
    たものじゃない、法治国家が泣いてます。

     その日はそれが終わってから、わたしは又名護市にもどりました。姉のマンション
    の鍵が南里さんところについてたので、高速バスに乗ったつもりが地道に降りてしま
    いました。

    でも、バスの中で地元の人といろいろ話しができました。

    南里さんと又、一緒に名護の選対本部をのぞくと、中田ぜんこう議員さんが新聞記者
    のインタヴューを受け照らしたので横で聞かせていただきました。

     名護市には今、つぎつぎに箱物がたくさん作られていること、それらの実態・・・
    についいろいろと聞かせていただきました。

     ここにも、ハードを喜び自慢する行政の姿勢と対照的に、ソフトのあまりの貧弱さ
    との矛盾がみえました。 南里さんもお母上をこちらに連れてきて看病しようとした
    ら、なんと介護保険か健康保険だったか、街の3倍にもなってとても大変だ、とかい
    ろいろ身近な話にも記者さんは興味を持って聞いておられました。


    後は、インターネットとFAXを受け取りに南里さん宅に伺い、つれあいさんとも久
    しぶりにお目にかかって旧交を温めました。そして、遅くなったので、またティダの
    家に泊めて貰いました。

    11月10日(金)

    ティダの家に泊まったので、今朝もキャンプシュワブの前に立ってアピール行動に参
    加した。、

    偉いのは80歳をすぎたキヨおばあ、毎朝キャンプまで歩いて往復、来週は北海道に
    行くよなんて元気に言ってらした。68歳の渡嘉敷ヨシさんも戦争中友達が餓死やマ
    ラリアで死んだのを覚えているって。62歳の當山佐代子さんも戦後食べ物がなかっ
    た時、この豊かな海が子ども達を食べさせてくれた、その恩返しで守らねばと。

    基地を強行するなら、わたしらの屍を越えてゆけ! と、おばあたちの意思は固い。

     そして、他にも毎日立ってアピールしている人たちがいる、それは、いつも世界の
    どこにでも紛争の地にはいらっしゃる日本山妙法寺のお坊様の一人、沖縄では永沼弘
    夫さま。彼は黄色い袈裟を着て太鼓をたたきながら静かにお経を唱えておられる。

     もうお一人は、大阪出身の佐久間務さん。彼は九州から野宿同然で沖縄まで来られ
    て、今ではこちらに落ち着いて、最初は徒歩でかよっておられたけど、今は、車に看
    板などのせて、毎朝、毎夕も、ここキャンプシュワブのゲート前にたってアピールを
    しておられる。日に焼けたすばらしい笑顔で、毎日みなさんに基地撤廃と平和を訴え
    ておられます。


    今朝は、昨晩会った新聞記者さんが朝のアピールを取材に来られたので、終わってか
    ら一緒にティダの家に行き、ヨシタミさんやおばあたちから話しを聞きました。彼女
    達の心から搾り出す深い体験はこの明るい自然とはまったく対照的だけど、それだけ
    に、彼女達の平和を願う思いと祈りはどこまでも広がっていくように感じられまし
    た。

     あと、その記者さんを浜のテント村「平和市民連絡会」に案内したら、丁度、平良
    夏芽さんが、20人くらいのグループにテントで話しをしているところでした。 そ
    こで、先に辺野古の古い小さな公民館にまわって区長さんの話も少し聞いてきまし
    た。

    まあ! 燦然と輝く太陽のように、明るい白とオレンジ色の瓦のとても大きい公民館
    がすぐ近所に只今建設中です!すごい!さすがお金持ち!!!

    あっ、糸数候補の街宣車が走ってる、よかった!

    ん、今、ここの行政・名護市の行政にとっては、基地とすっかり癒着してしまってい
    ると言ってよい状況だけれど、この落とし前はこれから一体どうなるんでしょうか。
    すっぱりと切れるものなら切ってほしいですね。

     南里さんから私宛の郵便物を受け取り、わたしは、高速バスで那覇の国分の沖縄大
    学に向いました。午後、きくちゆみさんが、そこで“目撃者”の講演とそこの先生と
    の対談があるから。

     まあ、びっくりしたことに、そこで新潟の黒岩千秩子さんと10年ぶりの再会をし
    ました。彼女とは、あの阪神・淡路大震災以来でした。わたしが灘区で震災ボラン
    ティア“灘地域助け合いひまわりネットワーク”の代表で毎日出動していろいろと
    コーディネートしていた時、新潟から、震災孤児の子を何人か避難させたいと言って
    こられたのが黒岩さんで、足長育英会などを紹介したことがあったのです。

    金城睦弁護士さんとも会えたし、ちょうどその夜は、彼の「イチャリバチョデーセン
    ター」で音楽とおしゃべりの集いをしようと急遽決めてたので、ピアノの練習に向か
    おうと思ってたところ、ちょうど黒岩さんも一緒に車で同行することにしました。

    そして、那覇の選対本部に行くことになりました。私は、あの!Hさんがいらっしゃ
    るだろうから本部は失礼してました、というと、「えっ、彼は来ていないよ 何か
    あったの?」と、金城さん。彼はずっと中国にいらしたので、あのHさんがML上で、
    わたしの“拝啓 共産党さま”の発言をオウムになぞらえサリンの風だ、政治的バカ
    だと、私を侮辱なさったことなど全然ご存知ないことが分かりました。みなさんお忙
    しいからそんなものなんでしょう。で、安心して選対本部に向いました。^^

    まあ、なかなか明るくてにぎやかな選対本部でした。ぞくぞくと内地から応援の方が
    かけつけてきているようでした。今日は田中康夫さんが来て、糸数候補さんと離島を
    まわっているそうです。壁には、社民から、民主から・・・総勢の応援メッセージの
    ポスターが壁紙代わりにはってあるみたいにびっしり並べてありました。

    しかし、静かな選対本部でした。だいたい女性がいない、奥に2人ぐらいはいたかし
    ら。

    たとえば、田中康夫さんが、たった2時間だけの那覇の滞在で、あとは、離島めぐり
    とは、なんともったいない。彼に本島で、上手にたちまわっていただければ、どっと
    糸数さんの支持者を獲得できるだろうに。

    それに、小沢一郎さんも同様の扱いをうけたそうですよ。一体どうなっているんで
    しょうね・・・?!どうにも、市民の姿の見えない偉い人ばかり並べた党主導の選挙
    のようにわたしには見えました。


    というわけで、選対でいろいろお話伺わせていただき、明日の街中での街宣方法を
    うかがいました。どんどん宣伝してOK、沖縄ではなんでもOKだよ、とのお墨付き
    をいただいたので、やる気まんまん!

    明日、一日かけて、一人一人に手渡そうと、名づけてローラー作戦 をすることにし
    ました。

    カードもパンフレットもいっぱいいただいて、明日中に全部を消化してしまおうと、
    意気込んでカバンいっぱいいただいてきました。

     そしてその夜は金城先生のイチャリバチョーデーセンター(行き会えば友達・・
    ・)で音楽とお話とでゆっくりと過ごしました。 あわただしかったこの3日間で
    ほっと一息できた時間でした。黒岩さんたちともみながそれぞれに久しぶりの思い出
    話に花が咲き、おそくに選挙本部からもお一人かけつけて状況説明に来てくださりい
    ました。

    その“イチャリバチョーデーセンター(行き会えば友達・・・)”の広いお部屋には
    コンサートグランドピアノのすばらしいのがあり、北海道の拓ちゃんも、オーストラ
    リアのヴィヴィルブー?というユーカリの木を白蟻さんがくりぬいた楽器を吹いてく
    れました。もちろん、金城弁護士の奥様の美しいソプラノも聞かせていただき、拓
    ちゃんの笛とのコラボレーションが楽しかったです。わたしもそれなりにピアノを弾
    かせていただきました。 話に音楽に花が咲いてとても有意義な時を過ごさせていた
    だきました。
     お客様方も何人かいらしてくださり10数人で楽しい夜をすごしました。そして、
    同じ方向の方の車に乗せていただいて姉のマンションに帰りました。 レンタカー
    だったらこういう出会いの楽しみもないですから、今回は歩きでほんと楽しかったで
    す。


    ところで黒岩さんは、一度議員もなさっておられて、只今は議員のむすこさんが、彼
    女と入れ違いにが現地にはいって手伝われるそうです。彼女とは阪神大震災以来の1
    0年ぶりの再会でしたが、
      あの1995年は、米兵による少女暴行事件があって、沖縄全島が怒りに燃えた
    時でした。
      そして、アメリカに向って、沖縄の重鎮の女性たち10人が抗議を申し入れに
    行ったのでした。  
      その時に女性候補さんも一緒に行っていたそうですが・・・・・。

      ですから、今回でもいろいろと思わされたのですが、なぜ、予備選挙をしないの
    かしら。
      みなに野党統一して是非とも勝とうという信念があれば、その中で、予備選挙を
    すればよいのにと私には思われました。

      今回は、じつは沖縄でずっと市民活動をつづけてこられ、みなさんの信任もあつ
    かった山内徳進さんが真っ先に候補にあがっていたのに、そこに、自民党を除名され
    たという下地という人が、5者協議に加わろうと ”そうぞう” という議員のグ
    ループをひっさげてこられたわけです。
      そこにキナショウキチさんものっかってしまわれたので候補者選びで割れてし
    まったそうです、山内さんがでるなら、自分もでると下地さんがいったそうです。 
    それで、その自民党崩れさんが女性候補の糸数さんだったら、自分は出ないで支援で
    きるというから、山内さんも割れるよりはと自ら辞退されたのでした。それで糸数さ
    んに決まったそうです。糸数さんは、国会議員でしたから、極力辞退なさったそうで
    すが、とうとうみなに説得されたそうです。

    そういう複雑ないきさつもあって、みなの胸のうちに釈然としないものがあったので
    しょう。その下地って人の支援はなかなかこなくて、できたポスターをみると、糸数
    さんと自分が並んでいるかのようなポスターをつくって貼りまわってるそうで・・
    ・。^^困りますねえ、こういう出たい人が議員やなんやに出ようとなさるんです
    ね。


      わたしが思うに、今、女性知事をというときなら、政党と関係あろうがなかろう
    が、(ないほうが望ましいかもね)くだんのもろもろの女性たちも並べて、それぞれ
    に魅力と主張をぶつけあう予備選挙をすればよかったのにと思うわけですよ。 だっ
    たら、こんなくすぶったしこりにはならなかったんじゃないかとも思われました。

      その予備選挙を大々的に宣伝して、つぎの統一候補知事は誰ねを選びますか!っ
    てね。
    一般市民までおおぜいまきこんで・・・・、一般市民に向って広くあちこちで立会演
    説会をして、

    先に予備選挙をするんですよ。
      お祭り騒ぎにして・・・、だったら、一般市民も喜ぶし、政治への意識も高まる
    だろうし、
    今の沖縄の問題点も出てくる、そして本土からの応援演説、支援の言葉いろいろ必要
    でしょう。

    選挙への意識も投票率もあがる・・・、こんどこそ、これまでと違うことができそう
    だと・・・、

      それが、目の前のアメをしゃぶらされて、結局人間としての魂抜かれてしまい、
      あとあとムチとなってはねかえってきていいのかどうか、基地問題はそこが問わ
    れているわけですから、みなさんに、今の実態を知っていただくためにも、立会演説
    会なんて最高じゃないかしらね。


      いろんな抱えている問題を沖縄の美しい自然の中でのあの辛い戦争を体験してき
    た方々によくよく考えていただきたいのです。ほんとうに平和でかがやく笑顔になれ
    るにはどうすればよいかを。


      そして、わたしたち内地人は、沖縄だけでなく、日本がアメリカという乳母日傘
    どころか、搾取されつづけてきた、その状況のひずみをすべて沖縄に押し付けてきた
    ことへの十二分の反省をしなければならないはずです。
      そして、沖縄に米軍基地を押し付けたままで平和平和と叫んでいることの矛盾を
    しっかりと本土のものとして、自分に突きつけねばならないと思われるのです。

    これからは沖縄と本土と一体となって償って、ともに痛みをわかちあわねばならない
    という決意と、そして沖縄の日とに基地がなくなって喜んでいただけるように、沖縄
    の問題を自分のものとして一緒になってすすんでいくことが必要だと思われるので
    す。                                
    11月11日(土)さあ、今日は最終日、今日の神戸への最終便、夜6時半那覇発にのって神戸に帰ります。那覇の姉の高台のマンションでさわやかに目覚めたわたしは、早速荷物をまとめておいてとびだしました。半日の勝負です。しかし風は強く、雲ゆきはちとあやしい。カバンには昨日あずかった資料がずっしり入っています。

    マンションからの道々もうろうろまわりながら、各家々にポスティングや庭に出てる
    方には話しかけたり、お店にも「こんにちは」と戸をあけて入ってお話しました。

    一人ひとりに声かけしながら、呼びかけて女性候補カードを渡し、話の具合でときには大きく美しい説明のパンフの手わたしをしました。住宅地の中の感触がよいお店には、このポスター(沖縄から女性知事を・・)を貼ってくださいとお願いもしました。

      一般のお家でも、外にいる方には声かけてカードを渡してたら、「がんばってえ」「あんたらにがんばってもらわんとね」「ようわかってるよ、がんばってねえ」と・・・・、
      と、こちら側の働きかけを待っていたかのように期待をこめて答えてくださるのがとてもうれしかったです。

    バス停でも、待ってる若い人に、まず“風”のハガキ(若い人向けの黄色のハガキ)を渡して、「選挙にいってね」と安心していただき、それからおもむろに話しかけます。

    なにしろわたしは、おしゃべりが得意。

     バスが来たので、国際どおりまで乗ってゆく、バスも後ろの方に座って、前に座ってる男の子たちにも「あなたたち ハタチになってる?」と聞いてみる。「いやあ、まだですよ」と、ピアスをした男の子がそう言う。「では、ハタチになったら選
    挙にいってね」と予備軍にもハガキを渡しておく!^^

     “国際通り”というバス停がなかったので、あらっと、通りが切れたところでとび降りました。そこから、ずっと県庁に向って帰ってくるわけです。

    歩いている地元の方みたいな方々にカードを渡し、そして一つ一つのお店にも入ってゆき、ときには、中で一杯いただいておしゃべりしたり、一つ一つのローラー作戦は順調にいきましたよ。^^

    おばさんの店はたいていが、「応援してるよ がんばってね」と、励ましていただけました。また、若い人のお店では、今勤務中ですからと拒否する若い人もなかにはいましたが、

    でも、ほとんどは、いろいろちょっと話したりして、カードを気持ちよく受け取ってくださって、

    「頑張ってください」と言ってくれたり、
    「はい、投票にいきます」 と素直に答えてもくれたりしました。とてもうれしかったです。

    スーパーから出てくる人にも話しかけました。みんな自転車にのろうとしながらも、降りて気持ちよく質問に答えてくださいます。

    はげましの声はほぼ80%はいただけてたと思われます。それとも、沖縄の人は思いやりがあって、

    無理だねえとか応援しとらんよとか、よう言わないのかもしれません、でも、そんな様子ではなくて、

    みなさん、すなおに答えていてくださったと思われました。

     そして、折り返し聞くんです。「基地は賛成ですか、反対ですか」と、できるだけ聞いてみました。
     すると一般住宅地の方では 「そりゃ 反対ょ」 と答えられていたのがほとんどでしたが、

      町のお店では一軒だけ、
    「基地がないと、困るからな〜、今、ホテルにも働きに言ってるけどどんなに安いか知ってるか!」
     と怒られるように言われ、女性候補さんのカードをとっていただけませんでした。

    あるいは、「基地は微妙だからねえ」 と何人かに言われたりもしました。

     バス停でも、人品卑しからぬご婦人には手をふって断られたりもしましたが^^;;
     
    ただ、あとの基地の質問については、ちょっと困った顔もされました。「微妙ね〜〜」ってかんじも。

    それとか反対に、 「基地にたよってる人は5%ぐらいだと思うけどね〜」 とか言う人もいました。
      他にも、女性候補さんは応援だけど、基地は「ちょっと分からない」「すぐどうこうは言えない」という感触がけっこうありました。

    昼もかなりまわって、糸数梨恵ちゃんに電話したら、彼女もちょうどあいたところで、

    牧志の市場の上で一緒に遅いお昼にしました。パパイヤのチャンプルー、豆腐のチャンプルーとグルクンのからあげでした。おいしかった〜〜!梨恵ちゃんには最後でいろいろおせわになったからおごらせてもらいました。梨恵ちゃんありがとうございました。

    そして、二人で県庁前までバスに乗りました。そろそろ県庁前の県民広場での、音楽が4時からはじまるからです。そこで、最後のローラー作戦、けっこうお話しながら、手ごたえアリってかんじで、そうとう数ばらまきました。

     広場で音楽もはじまり、本土からの議員さんの応援の言葉もありました。民主党のだれだったっけ・・・。糸数候補さんも、キナショウキチさんも後で来るとのことでした。

    ほんとうに沖縄はおおらかにこのイベントを楽しんでいました。けっこう人々が寄ってきていました。わたしの持分はしっかりはけてしまいました。

     それから、辺野古の基地問題をあばいた建築家の先生・・・にもお会いしたので、もうさいごだからと、「拝啓 共産党さま」もついでに渡してきました。すると、“すべての武器を花にかえよう”の大きなシールを何枚もいただきました。

     帰りにバス停で待ってるときも残りを手渡しました。それから、バスにのったのですが、途中で飛び降りました。というのは、かつてのなじみのお店をみかけたからです。今回は車でなかったので行けないと思ってたのが、バス停からみえるじゃないですか。

    ついつい飛び降りてお茶して、ピアノまで弾いてきました。まあ、3年ぶりだったのに、みなさん覚えていてくださっていてとてもうれしかったです。

    それからが大変、バスがないのでも一度県民広場にもどってまた別のバスにのって、途中でとびおりて、タクシーを拾って姉のマンションに寄って、荷持をひっつかんで、

    運転手さんを急がせて、飛行機の発つ10分前に空港に着きました。セーフ!

     それから、8時半には神戸空港におりて、一足先に神戸に来ていた南里さんと会いました。南里さんは翌日からインドでの学会に出かけるんですよ。「神戸の案内ならまかせて」っと北野坂の雲南の歌姫さまのお店に案内しました。

     その晩はおりあしく貸切でしたが入らせて貰って、お相伴にあずかりました。

    お礼に中国のピアノ曲を弾いて、万来の拍手をいただきました。と、楽しくハッピーに終わった長い旅行でした。

    カンパくださったみなさんいろいろとありがとうございました。沖縄と尼崎の選挙もあと一週間の勝負、わたしたちもできるだけの応援をしようと決心して西宮の家に帰りつきました。ありがとうございました。       

      沖縄そぞろ歩き記3

     いやあそれにしてもおどろきましたねえ、  

    沖縄の基地の地代として、そうとうなお金が降りているとは聞いてたんですが、
    こうまでとは、ほんとうに驚きました!とても庶民の諮れるところじゃないですね。

     沖縄のアメリカ軍用地料は年間13億円もあるそうです。(これは北部だけだったか)その4割は個人に、6割は市町村に行っているそうです。

     たとえば、たった1800人の辺野古地区だけでも、年間1億5千万円もあるのですから、もう貯まって貯まってしようがないわけですよ。そこでみなに黙ってていただくために、米百俵ならぬ米一俵の話も出てくるわけです。話せば長くなりますから割愛しますが、貯まりにたまっているものをどうやって村民に配るか。それで基地反対の声が増してきたので、各家庭にも100万から配られるという恩恵等などの不正が堂々とまかり通っているわけです。

    それらも、これらも、みな国民の税金ですからね。

    あぶないですねえ、そんなアメで溶かされてしまうものは、一体なんでしょうか?

    それは、しかと自分の足でたつという独立独歩の精神だし、お天道さまに恥ずかしくないという矜持だと思うんですね。

    ところが、日本は60年前に敗戦して以来、ずっと占領国に甘んじてきた、土台政府からして、アメリカさまの言うことを聞かねばクビになるというこすからい官僚精神でゴマすっているわけですから、どうにもつける薬がない。

    ♪〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   
      世界にむかって 平和に JUMP!  
           (*^▽^*)/:・;^・;・*.";.*:       
      Spiritual Peace Musician                     
       http://yukichan.cc  peace@yukichan.cc               池邊 幸惠 
        
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪
    posted by: peaceyukichan | 教育 | 07:32 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |









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    2007/01/29 11:52 AM
    「2ちゃんねる」の西村博之氏に対し、全財産仮差押さえを申し立てた「35歳会社員」(自称?)とみられる人物が、自分への質問を受け付けるサイト「今回ひろゆきを訴えた35才会社員の日記」を立ち上げた。
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