とんでもない判決がくだされました。
東電が言うには、撒き散らされてしまったものは無主物だから、責任はないというとんでもない屁理屈・ひらきなおりを言ったわけです。
毒物を撒いたのに、知らん顔という 厚顔無恥を通り越して犯罪者そのものです。
しかし、裁判所がこの犯罪者東電のひらきなおりを“糾す”どころか、原告を敗訴にしてしまうのですから、この国の裁判もヒラメしか残っていない嘆かわしい事態になってしまっているのです。
たんぽぽ舎の報告から★1.汚染日本で暮らすための汚染者負担の原則 毒物まいて「無主物」という東電の主張 槌田 敦
2011年8月、二本松市のゴルフ場が、東電を相手に、汚染の除去を求めて仮処分裁判を起こした(朝日新聞11月24、25日)。
ゴルフコースの線量が高くて営業できないので、東電に除染を求めるというものであった。
これに対して東電は、「原発から飛び散った放射性物質は、東電の所有物ではなく無主物であり、東電は除染に責任をもたない」と回答した。
10月31日の東京地裁の決定は、敗訴であった。「無主物」には立ち入らなかったが、国の除染計画がまだ定まっていないことを理由にしたという。ここでもしも、裁判所が「無主物」との東電の主張に与するとすれば、それはこれまでの公害裁判の歴史は一挙に否定されることになる。
1969年、水俣病患者はチッソを被告として第一次訴訟を起こした。チッソは、「健康被害は予見不可能。従って、過失責任はない」と主張したが、73年、原告は勝訴した。
79年、元チッソ幹部2人に有罪判決となった。
以後、原告勝訴が続く。汚染者負担の原則が認められ、チッソの弁明は退けられたのである。
ところが東電は、この公害裁判の歴史を無視して、事故で放出した放射能は東電の所有物ではないと主張し、東電には義務はないと主張したのである。
一般に、東電の管理を離れた物品で、東電が所有権を主張しなければ無主物である。しかし、この物品が毒物であれば、東電は汚染者と言うことになる。この場合、汚染物は東電の管理を離れることにはならず、汚染者負担の原則が適応される。東電はこの汚染者負担の原則を「忘れた」として逃げようとしている。
(以下、略)
編集部(注) 槌田敦さん、山崎久隆さん、原田裕史さんによる本が来年1月に出版されます。この原稿はその本の第3章の初めの部分の文章です。部分紹介になりますが、東電の「無主物」という無責任きわまりない主張を批判し、「汚染者負担の原則」が日本の公害裁判の歴史の中で確立された大原則だと述べて、東電の大まちがいを厳しく批判しています。