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被爆体験 少女たちは溶けてならんでいた・・・
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    これも藤永さんのブログからです。あまりにも重くて真摯に受け止めるしかなく・・・、
    http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/08/post_b4b0.html?cid=23806053#comment-23806053
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    被爆体験
     たしか、2005年、ヒロシマ・ナガサキ60周年の時だったと思います。ニューヨークにTV JAPAN というテレビ局があり、主に日本で出来たテレビ番組を流しています。そのニュース番組で異様な場面を見たのです。国連本部の建物の中の人通りのかなりあるホールウエイのようなところで、長崎で被爆した一人の老男性が背中の左側に縦に長く深くえぐられた原爆のケロイド化した傷痕を写真パネルで示し、ご自身も背中をあらわにして、原爆被爆の凄まじさを訴え、核廃絶と世界平和を訴えておられました。そこへ一人の40歳前後の浅黒い皮膚の色の男性が立ち止まって、しばらく、被爆者の訴えを聞いていたのですが、特別反発の調子でもなく、ただ平坦な静かな声で、「あなたと同じような苦しみを味わった人間は世界には無数にいる」と言って立ち去ってゆきました。そのシーンを見て以来、私は、折りにつけて、男の言い残した言葉を反芻しています。
     長崎の爆心から1キロ余りのところにあった三菱兵器の工場で、私の兄は被爆しました。爆発の直前に、たまたま地下室に降りていったため、腕に火傷を負っただけでしたが、急いで階段を駆け上がった兄は、そこで言葉を超えた地獄図に立ち会ったのだと思います。

     兄は被爆後ただちに壊滅した工場を離れて東に向かい、終戦の数日後、当時、私が父母とともに細々と百姓仕事をして暮らしていた福岡市郊外の二部屋の小屋に、姿を現しました。衣服は汚れきり、半痴呆の状態でした。それから数日間、言葉にならないことを虚ろな目でしゃべっていましたが、次第に精神状態がしっかりしてくると、もう被爆については語らなくなってしまいました。それは、2003年に86歳で永眠するまで変わりませんでした。ただ、兄がおそらく被爆直後に見たものからの衝撃で一種の痴呆状態にあった時に、その口から漏れた地獄絵の一部として私の記憶にこびりついている兄の言葉があります。「上にあがってみると、動員の女子生徒たちが、何人も、溶けて並んでいた。」と兄は言ったのです。兄は何を見たのか?少女たちが溶けて並んでいた、とはどんなことだったのか?それらのイメージははっきり結像するすべを知らないままに、私の胸の中にうずくまり続けています。
     原爆被爆体験と他の空襲体験、または悲惨な戦争体験を区別する特徴は存在すると思います。それは基本的には核反応が従来の化学反応に比べて全く桁はずれの破壊的エネルギーと有害放射線を放出することに由来します。これは大概の人々がよく承知していることがらです。しかし、死を含めて、個々の人間に押し付けられる苦痛と悲惨はあくまで個々の人間の体験であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもあり得ません。その意味では、ヒロシマ・ナガサキが、ドレスデンや東京大空襲と、あるいは重慶での被爆者個人の体験、あるいは、沖縄の岩穴の中で生起したことと区別される根拠はないのです。国連本部の建物の中のホールウェイで、通りがかりの男が長崎の被爆者に投げた言葉はそうしたことを意味したのであろうと、私は考えます。あの男の子供が劣化ウラン弾の被害にあって腹部が異様に膨れ上がり、とうとう死んでしまったということも、あり得ないことではありません。
     私の想いはいつも故鎌田定夫氏が書かれた「原爆体験の人類的思想化を」という文章に戻ってゆきます。その終わりに近く、鎌田さんはこう言っておられます。
    ■ それは単なる文化や歴史観の違いの問題ではない。あの戦争と原爆によって真に魂の危機を体験したか否か。真に死者と被爆者の立場に立ってあの悲劇を受けとめ、思想化し得たか否か、その根本が問われているのだ。■
    長崎で被爆した兄が、わが苫屋の縁先に現れた日からこのかた、原爆について考え続けて来たつもりの私ですが、いまだに、鎌田さんが求められた真の思想化ができていません。しかし、ドレスデンの大空襲を地上で体験し、小説『スローターハウス5』を書いたカート・ヴォネガットも、彼らしい語り口で、「原爆はどうも違う」と言っています。過去の幾多の戦争でわれわれ日本人が犯した罪科と正面から向き合って内的に対処したあと、未だに多量の核兵器を所有し、にわかにはその廃棄に踏み出さない国々に対して、確固たる思想的立場から、核兵器の廃絶を、正々堂々と、要求できるようにならなければなりません。核兵器問題に関するオバマ大統領のメンターであるキッシンジャーは「核抑止力」の思想を世界に押し付けてきましたが、その思想と論理を断固として拒否し続けた湯川、朝永、豊田などの我が先輩たちは、「核兵器は絶対悪である」という立場を堅持したまま、鬼籍に入られました。キッシンジャーはおそらくこう嘯くでしょう。「核兵器を絶対悪呼ばわりして何になる。我々アメリカは核兵器を現実の兵器としても、外交戦略の武器としても極めて有効に使って来た。我々はこのやり方を変えるつもりはない」と。もし、原爆を使ったことに本当の道義的責任を感じているならば、直ぐにでもやるべきこと、やれることがあります。ハーグの国際法廷をアメリカの外交戦略の道具とすることを即刻やめて、ヒロシマ・ナガサキの戦犯性についての真剣な討論の開始を阻害しないようにすることです。

    藤永 茂 (2009年8月19日)


    posted by: peaceyukichan | - | 06:24 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
     ゆきちゃんさん、はじめまして、おじゃまいたします。

     ケムトレイルの事を記事にされていたので一言言わせて下さい。

     最近の散布はバレてきているので航空ショーの様に航跡を残す事は少ないと思います。

     薄く撒いて空が真っ白です。または水色で青空はないはずです。
     さらに、曇りの日はばれないので散布しまくりでしょう。

     つまり、毎日散布するという事です。『ケムトレイル気象操作掲示板』御参考頂けたら幸いです。毎日白空の空模様がわかると思います。
    | ピラリーちゃん | 2010/02/04 12:21 PM |









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